その牛はいかにしてキャベツを食べたのか、そして象のこと
少し前に翻訳した西部劇で面白い表現が出てきた。白人のテキサス人が、先住民の頭の皮を剥ぎ(!)――通説と逆というのがすごい――そのことを酒場で自慢する。奴らと戦って"we showed them how the cow eats the cabbage"と言うのだ。そのまま訳せば「その牛がどうやってキャベツを食べたか教えてやった」となる。もちろん、このままでは意味が通じない。調べてみるとThe Word DetectiveというHPに詳しい説明が載っていた。変わった慣用句などの語源を解説するページのようだ。
普通はtell someone how the cow ate the cabbage.と言うことが多く、誰かにあることをストレートに言ってやる、ありのままの真実を言う、本人が聞きたくない真実を言う、という意味がある。また、誰かを叱る、文句を言うという意味もある。このシーンでは「連中に現実を教えてやった」というところか。
上でテキサス人と書いたが、上記HPによれば南部を中心に、特にテキサスやアーカンソーでよく聞く表現だとのこと。他のHPを見てもテキサスや南部の表現という説明がある。それにしても、牛のキャベツの食べ方が、なぜ上述のような意味になるのだろうか?語源については、次のようなジョークのオチから生まれたと説明されている。いわく、あるサーカス団が小さな町を訪れた時、サーカスから象が逃げ出した。象はある老婆の裏庭に入り込み、そこの畑に植えてあったキャベツを鼻で引き抜いて食べ出した。老婆は非常な近視だったが、庭の異変に気づき、警察に電話する。「保安官、うちの庭に大きな牛が入り込んで、尻尾でキャベツを引き抜いてるの」「その牛は抜いたキャベツをどうしてます?」すると老婆が答えた「言っても信じないと思うわ」――この老婆自身は「牛がどうやってキャベツを食べたか」を言っていない。つまり、ありのままの真実については口を濁したわけだ。
ネットで検索すると、サーカスが動物園に変わっているバージョンも見つかる。上記HPによれば、このジョークは少なくとも1940年代までは遡れるとのことで、当時としてはかなり「際どい(下品な)」ジョークだったらしい。今の感覚だとユーモラスと言ってもいいのではないだろうか。
同HPによれば、19世紀から20世紀初頭まで、アメリカの小さな町では、本物の象が見られる機会は、上のジョークに出てくるように、たまに回ってくるサーカス団しかなかったらしい。だから象は非常な呼び物だったそうだ。そこからsee the elephantというイディオムが生まれている。これはランダムハウスにも載っているが、人生経験を積む、世間を見る、という意味だ。HPでは数年後にややマイナスの意味としてhave seen the elephantという言葉が生まれたとしている。意味は世慣れた、俗人となった、もう純粋無垢ではない、となる。世間を見ることでイノセンスを失ったということだ。また、南北戦争の頃にはsee the elephantが初めて戦争を経験した、戦争の残酷な現実を知った、という意味にもなったと書かれている。