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翻訳の現場から


2024.02.14

風間先生の翻訳コラム

コラム第110回:戴冠式

戴冠式

 先日、あるファンタジー作品をやっているとcoronationという言葉が出てきた。辞書で引くと戴冠(式)、即位(式)と載っている。今回の作品の場合、文脈から判断して式のことを言っているのは明らかだ。去年の春にイギリスのチャールズ国王の戴冠式があったのは記憶にも新しい。戴冠式にしようかとも思ったが、並んで載っている即位式が気になる。そもそも戴冠と即位はどう違うのか。
 まず「戴冠」というのは読んで字のごとし、冠を戴くという意味。誰から戴くかと言えば宗教上の一番偉い人から。カトリックならローマ教皇となる。イギリスの場合は英国国教会なのでカンタベリー大主教から冠を戴くことになる。だからチャールズ国王は戴冠式だったのだ。
 しかしプロテスタントの場合は宗教上の偉い人間というのが存在しない。教派によって若干の違いはあるが、偉いのは神のみである。牧師は礼拝等、教会の事務的な運営管理と、教育者として信仰上の指導をするのが役目だ。カトリックの司祭の呼称が神父/fatherつまり聖職者であり、その最高位が教皇なのに対し、牧師は聖職者ではない。プロテスタントの基本は万人祭司である。簡単に言えば信徒1人1人が神と向き合うということ。牧師はその指導をするだけだ。だから呼称として「先生」と呼ばれることが多い。
 従ってプロテスタントの国の場合は、王に冠を与える上位の存在がいない。だから市民または国民に認められて王に即位するので「即位式」となる。例えばオランダがそうだ。
ということは、coronationはプロテスタントかそれ以外かで即位式か戴冠式かを判断すればいいということになる。やっていたファンタジー作品では宗教絡みの話は出てこなかったし、神職も登場していない。そこで「即位式」を選んで提出した。
ちなみに現在のヨーロッパで王国はオランダ、スウェーデン、スペイン、デンマーク、ノルウェー、ベルギー、イギリスの7ヵ国だけ。いずれも立憲君主制で、王(女王)は実権を持っていない。そのうち、プロテスタント国以外で今も戴冠式を行っているのはイギリスだけである。
 戴冠式で有名な絵にダヴィッドの「ナポレオンの戴冠式」というのがある。一般的にはこの名前で知られているが、正しくは「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠」という。本稿の冒頭に載せた絵がそれである。描かれているのは妻のジョセフィーヌがナポレオンから戴冠されているところだ。ちょっと待て。ナポレオンはフランスだからカトリック国。教皇が戴冠するのではないか?そう思ったあなたは正しい。絵の中でナポレオンの後方でイスに座っているのが当時の教皇ピウス7世である。本来ならピウス7世がジョセフィーヌに戴冠するはずだ。それをナポレオンがやっているということは、ナポレオンの権力が教皇をも超えているということを示唆しているらしい。そう思って絵を見直すと教皇の顔が心なしか憮然とした諦めのような表情を浮かべているように見えなくもない。
 この絵のことをウィキペディアで調べると、最初の構図はナポレオンが自分で冠を持ち、自身に戴冠しようとするものだったそうだ。ダヴィッドによるスケッチも載っている。さすがに不敬だと思ってやめたのだろうか。それにしてもナポレオン恐るべしである。

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