このどことも分からない場所から俺を救い出してくれ

ブルース・スプリングスティーンの自伝映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」が公開された。自伝と言っても、彼のディスコグラフィーの中でも異色の1枚--通常“暗いアルバム”と言われつつも評価の高い「ネブラスカ」制作時にスポットを当てた非常に内省的な作品に仕上がっている。
映画の原作はウォーレン・ゼインズによる伝記で、やはり「ネブラスカ」制作に焦点をあてたもの。伝記、映画ともに原題は”Deliver Me From Nowhere”で、これは「ネブラスカ」収録の“ステイト・トルーパー”の歌詞から取られている。まさに映画の世界観にぴったりだ。
そういう作品だから「ネブラスカ」制作時の秘話、こぼれ話が出てくることは予想される。翻訳前に原作に目を通したかったが、邦訳されていない。ネットで資料を探していると、ウィキペディアの「ネブラスカ」の英語版の記述が非常に詳細だと分かった。出典を明らかにした記述が多く、信頼性が高いと判断できる。そこで、翻訳前に少し時間があったので、英語版を全訳したが、これが非常に参考になった。今回はその中からいくつか書いていこう。
「ネブラスカ」のデモテープ録音を手伝うマイクという男が出てくるが、映画では彼が何者か説明がない。彼の名はマイク・バトラン、職業はギター・テック。ライブやレコーディングで使うギターの管理、調整、メンテナンスを行うスタッフのことだ。ライブ中はギターの交換やチューニングなどを行い、レコーディングでは音作りを手伝うこともある。本編の中盤で、スタジオ録音の前に、マイクが持っていく機材の話をする場面があった。
ちなみに初出の「ネブラスカ」レコード版にはプロデューサーの記載がなく、かわりにレコーディング・エンジニアとしてマイク・バトランの名前がクレジットされていたそうだ。デモをそのままレコードにしたため、スプリングスティーンは自分がクレジット受けるのは違和感があるとして、プロデューサーはなしということになったらしい。その後に出たCD等ではスプリングスティーンがプロデューサーとして記載されているとのこと。
本編では曲作りに当たって映画「バッドランズ」やフラナリー・オコナーの小説にインスパイアされた様子が描かれている。実際、スプリングスティーンはこの時の作曲の材料として本や映画をかなり漁っている。本では「ウディ・ガスリー:その人生」(未)、「民衆のアメリカ史」、「ポケット版アメリカ史」(未)などの歴史書、ロン・コーヴィックの自伝「7月4日に生まれて」など。映画は「バッドランズ」の他にジョン・フォードの「怒りの葡萄」、ジョン・ヒューストンの“Wise Blood”(未:オコナー処女作の映画化)、ウール・グロスバードの「告白」など。また自分の子供時代を回想し始め、ジェームズ・M・ケインやジム・トンプスンのノワール小説を研究した。特にオコナーの南部ゴシックの短編などからは強い影響を受けたという。
曲について、英語版から引く――「ネブラスカ」は普通のブルーカラー労働者の物語を描いている。彼らは成功を目指すが、事あるごとに失敗する。存在の危機に見舞われた最中に、彼らは自分たちの人生が無意味だと気づき、訪れることのない救済を探し求める。絶望と疎外感は彼らをとんでもない行動へと走らせる(以下略)。
僕が特に注目したのは、オンラインマガジン「ポップマスターズ」のビル・シーによる以下の記述だ。「(歌詞に登場する)彼ら労働者階級の登場人物が“サー”という言葉を使ったり、“若いの/サン”と言われることで、彼ら自身が従順な役割を受け入れてきた」
この見解を踏まえて、今回の訳詞ではsirを含む節は語尾を変えて丁寧語にしている。字数制限がなければもう少し前後の語尾を工夫できたと思うのだが、字幕だと違和感が目立ったかもしれない。ただ、上記のような意図を持って作ったことをここに記しておく。
最後に時代設定について。本作は“スーパースター”の知られざる苦悩の話ではない。今のスプリングスティーンを知る我々は誤解しがちだが、彼が本当のスーパースターに上りつめるのは7枚目のアルバム「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」である。彼は3枚目のアルバム「明日なき暴走」が全米3位となり、有名雑誌の表紙も飾って注目を集めるが、その時点で全米トップ10のヒットは出していない。初のトップ10ヒットは本作で語られるとおり、5枚目の「ザ・リバー」の“ハングリー・ハート”(最高5位)。劇中でも語られていたが、本作の直前で初めて大ヒットを出したわけだ。
以下、ゼインズの伝記より拙訳で引く――「ザ・リバー」と続くプロモーション・ツアーは彼とEストリート・バンドに過去最大の商業的成功をもたらした。にもかかわらず、彼は新たに成功を意識することで、自身のエンターテイナーとしての役割について内省するようになる。後にスプリングスティーンはこう説明している。“「ザ・リバー」の成功によって、自分が囲まれて育った人々と自分が書く曲があまりにもかけ離れているという“非常な葛藤”と直面することになった“と。













