赤い夏とエメット・ティル

『ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ』
2月11日(金・祝)より新宿ピカデリー他全国ロードショー
© 2021 BILLIE HOLIDAY FILMS, LLC.
「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」は伝説のジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイが、彼女の代表曲“奇妙な果実”と麻薬をめぐってアメリカ合衆国と対立する様子を描いた作品だ。題名のvs./versusとは裁判用語。つまり「合衆国対ビリー・ホリデイ」という連邦犯罪の裁判を意味する――麻薬は連邦犯罪なのだ。それと同時に、執拗にビリーを追う政府の態度が、あたかも両者の対決のようだという意味を込めている。
“奇妙な果実”がリンチで木に吊された黒人のことを歌っているということはジャズ・ファンでなくてもご存じの方は多いだろう。本作でもリンチへの言及があるので、そのことについて書いてみよう。例によって本編のストーリーとは関わらない話題だが、一切のネタバレが嫌な方は鑑賞後にどうぞ。
* * * * * * * * *
巻頭のテロップの背景に群衆の写真が映っている。徐々にカメラが下がると、彼らの手前に焼け焦げた遺体が現れる。これはオマハ人種暴動でリンチを受けて焼死したウィル・ブラウンを撮った本物の写真だ。暴動は1919年に起きたが、この年は夏から初秋にかけて全米の36以上の都市で人種暴動事件が発生し、赤い夏/Red Summerと呼ばれている。
“赤い夏”の背景には第一次大戦が大きな影響を与えている。大戦による軍事動員と移民の停止で工場労働者が不足し、黒人が南部から北部、中西部の工業都市に移動した。これを黒人の大移動/Great Migrationと言う。この結果、白人が占めていた職業を黒人が奪うことになる。大戦後に復員してきた白人は黒人と職を争うことになった。
さらに大戦中に起きたロシア革命は白人の不安をかき立てた。共産主義が、差別等で不満を抱えている黒人に反乱を起こさせるのではないかと怯えたのだ。加えて、大戦で動員された黒人の復員にも白人は恐怖する。出征によって黒人が権利意識に目覚め、白人に反旗を翻すことを恐れたのだ。
もう一つの要因はKKKの第2期勃興だろう。南北戦争後、一時低迷していたKKKは、第一次大戦によるナショナリズムの高揚に乗って復活する。当初は敵国であるドイツやトルコなどからの移民を標的とし、戦後は黒人やユダヤ人に狙いを変えて人々を扇動した。
こうして様々な不満、不安が複雑に重なり、それが1919年に爆発したのだ。この後も1921年には合衆国史上最悪と言われるタルサ人種虐殺が起こるが、やがて暴動やリンチの波は沈静化していく。とは言え世界恐慌、第二次大戦後と社会に不満や不安が満ちると、一時的にリンチの数が増えたという。
* * * * * * * * *
巻末で再び反リンチ法に関するテロップが出るが、その法にはエメット・ティルという個人名が冠されている。これは1955年8月に14歳でリンチを受けて死亡した黒人少年の名前だ。彼はシカゴ出身で、南部の親類を訪ねた際、白人女性に口笛を吹いたとして白人にリンチされた。ティルの母親は事件の残忍性を世間に知らしめようと棺を開いたままで葬儀を行い、雑誌や新聞を通じてティルの壮絶な遺体の写真は大勢が目にすることとなった。この事件については本作の監督リー・ダニエルズの前作「大統領の執事の涙」でも言及されている。
事件の背景には南部の人種分離政策がある。南部では白人と黒人の交流を禁じていて、特に黒人男性と白人女性の性的接触には厳罰で臨むという風潮があった。そこへ1954年、最高裁のブラウン判決で、公立学校における人種分離教育が違憲とされると、南部の白人は異人種間結婚が進むと恐れたという。
同年12月、黒人女性のローザ・パークスがアラバマ州モントゴメリーの公営バスで白人専用座席を譲ることを拒否して逮捕された。これに対し、同地に赴任していたキング牧師が黒人にバスのボイコット運動を呼びかける。このボイコット事件が60年代にピークを迎える公民権運動の始まりと言われている。ちなみにパークスは座席を譲ることを拒否した時、エメット・ティルのことを考えていたという。
運動は1964年の公民権法成立へと結実し、ここに法律の上での人種差別は終わりを告げた。しかし闘いが終わっていないことは近年のBLM運動でも明らかだろう。2020年9月、全米オープンで優勝した大坂なおみが、銃撃事件等で亡くなった黒人犠牲者の名前を書いたマスクでコートに登場したのは記憶に新しい。彼女は全部で7枚のマスクを披露したが、8枚目として用意していたマスクにはエメット・ティルの名前が書かれていたという。
*タルサ人種虐殺とエメット・ティル事件については、フィクションではあるがHBOドラマ「ウォッチメン」や「ラヴクラフトカントリー」で詳しく描かれている。













