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翻訳の現場から


2018.12.11

風間先生の翻訳コラム

コラム第48回:聖なる夜に聖林の話

聖なる夜に聖林の話

 誤訳。その言葉を聞いただけで、翻訳者の背筋は凍りつく――とまあ、そこまで大げさではないにしても、我々にとってはうれしくない言葉だ。誤訳をしないよう日々精進しているが、語学力のなさ、勘違い、早とちりなど、さまざまな原因で起きてしまう。しかし以前にも書いたが、過つは人の常。この世にはなかなかすごい誤訳がある。そんな話をして自分を慰めてみよう(って慰めてちゃいかんのですがね)。
 まずはスケールの大きい話から。red seaと言えば紅海のこと。紅海というからには水が赤いのかと思うが、そんなことはない。由来は諸説あるが、古代ギリシャでは方角を色分けして考え、南を表す色の赤から「紅海」となったと言われている。
 しかし、ここにもう一つの説がある。旧約聖書の出エジプト記で、モーセが約束の地を目指した旅の途中、海を割って仲間を渡し、渡りきったところで海が元に戻り、追っ手のエジプト軍を飲み込んだという逸話がある。映画「十戒」のクライマックスのひとつとしても有名な話だ。この海が紅海のことで、紅海は「葦の海」の誤訳だというのである。
 オリジナルのヘブライ語をギリシャ語に訳した際に誤訳されたというが、具体的にどう誤訳したか僕は詳しく知らない。ただ、これを英語にあてはめると非常に面白い。葦とは英語でreed。つまりreed seaをred seaと読み間違えたというのだ。なるほど、海なら割れないが、葦の生い茂った湿地なら葦を「割って渡る」ことも可能なはず。
 この話は裏が取れているわけではない。僕が昔小耳に挟んだもので、トンデモ話の可能性もある。ただモーセが渡ったのが「紅海」ではなく「葦の海」だという説自体は実際にあり、現在有力になりつつあるようだ。
 続いては童話のシンデレラから。シンデレラがガラスの靴を履いたのは有名だが、これが誤訳だというのだ。ガラスの靴が出てくるのはフランスの文学者シャルル・ペローの版だが、リスの毛皮/vairの靴を同じ発音のガラス/verreと間違えたというのだ。これはかなり有名な説らしく、文豪バルザックも言及している。確かにガラスの靴だと靴擦れしそうだし、何より踊っている最中に割れそう。透明な靴というロマンチックさはあるが、現実的ではない。
 しかし、これには反論がある。ペロー以前にもガラスの靴が出てくるバージョンがあり、ペローはそれを正確に再録しただけだという研究があるのだ。これについては現在も結論が出ていないらしい。ちなみにグリム版では1晩目は銀、2番目は金の靴(2晩踊ったということですね)となっているそうだ。
 最後は映画の都、ハリウッドの話。銀幕のスターが闊歩する街、夢が現実となる世界。それはまさに「聖なる森」と呼ぶにふさわしい。昔から日本ではハリウッドに「聖林」という言葉を当ててきた。しかし、これが誤訳なのだ。
 ハリウッドの原語はHollywood。hollyだから「聖なる」じゃないかと思ったあなた、早とちりです。「聖なる」の意味ならholy――Lが1つなのだ。hollyとはヒイラギのこと。恐らくハリウッドがあった所には昔ヒイラギの森があったということなのだろう。ちなみに女性名でHolly/ホリーというのがあるが、クリスマス前後に生まれた女の子につける名前として知られている。なぜかって?ヒイラギはクリスマス飾りの定番だからです。
 それにしても「ヒイラギ林」ではさまにならない。今だけは誤訳ということをぐっと飲み込んで「聖林」と読もう。何と言っても今月は12月。そう、聖なる夜の季節ですからね。

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