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翻訳の現場から


2020.02.12

風間先生の翻訳コラム

コラム第62回:伝令兵はメダリスト?

伝令兵はメダリスト?

 今年はオリンピック・イヤーだ。オリンピック競技に近代五種というのがある。1人でフェンシング、水泳、馬術、射撃、ランニングの5種目を行って順位を競う競技だ。実はこれ、軍人と関係がある。ナポレオン時代の騎馬将校が、自軍まで戦果の報告を命令され、敵陣を馬で駆け抜け(馬術)、敵を銃と剣で倒し(射撃、フェンシング)、川を泳ぎ(水泳)、丘を越えて走り抜けた(ランニング)という故事に基づき、近代五輪の父クーベルタン男爵が提案したのが始まりと言われている。男爵は古代ギリシャで行われていた古代五種(レスリング、円盤投げ、やり投げ、走り幅跳び、短距離走)になぞらえて考案、近代五種は1912年の第5回ストックホルム大会から採用されている。つまり伝令兵が近代五種の元となっているのだ。
 今話題の映画「1917 命をかけた伝令」は伝令兵の話だ。だがナポレオンの時代ならいざ知らず、第一次大戦時である。敵陣を突っ切るという危険を冒させるより、無線で連絡すればいいと思わないだろうか。マルコーニがモールス符号による無線通信公開実験に成功したのが1895年。1900年代初頭には無線電信が実用化されていた。遅れて音声無線も開発され、1902年にはマイクによる音声実験が成功。1906年には世界初のラジオ放送に成功している。こうして音声無線もやはり1900年代初頭――第一次大戦前には実用化されていた。
 映画の舞台である第一次大戦当時、当然ながら軍で無線電信は使われていた。一部では音声無線も使われていたというが、これは裏が取れていない。だが、いずれにしても、音声無線が主流となるのは第二次大戦におけるウォーキートーキー、いわゆるトランシーバーからだ。音声無線が開発されていたのに第一次大戦で主流とならなかったのは、当時の無線機が大型だったからである。第二次大戦時ですら無線機は兵士が背負う大型の物だった(昔のテレビ「コンバット」などで確認できる)。第一次大戦当時はとても携帯できるサイズではなかったようだ。
 ではどういう通信手段を取ったかというと、塹壕の拠点(士官がいる場所)、前線基地など施設同士の通信には有線電話が使われていた。有線だから土中にケーブルを埋めるわけだが、砲弾などで切れることも想定し、2本、3本と敷設することもあったらしい。また、兵士がケーブルを背負って切断箇所まで行き、つなぎ直すということもやっていたそうだ。
 そして前線部隊への連絡や部隊同士の通信には信号弾が使われた。それと積極的に使われていたのが伝書鳩である。伝書鳩は第二次大戦でも使われていた。しかし、込み入った連絡については伝令兵が使われた。つまり伝令兵というのは欠くべからざる貴重な存在だったのだ。延々と伸びる塹壕内を伝令兵が駆け回るということもよくあったらしい。
 もうひとつ、無線通信(音声、電信を含む)より伝令兵や伝書鳩が使われた背景には、無線通信は傍受されやすいという欠点がある。これを補うため、通信の暗号化ということが行われるようになっていく。第二次大戦時のナチス・ドイツが開発した暗号機エニグマというのを耳にした人も多いと思う。
 実は21世紀の現在でも、前線基地周辺での通信には、わざわざケーブルを敷設して有線電話が使われているという。無線傍受という危険性を考えると、安全性では有線通信に軍配が上がるのだ。軍隊の場合、最新式のテクノロジー一辺倒ということはなく、むしろ最新技術には脆弱さがあるため、あえてアナクロな技術を用いることが有効な場合も多いらしい。
 他にも例えば軍用のパソコンは古いCPUを使っているそうだ。大事なのは絶対にバグらない、電磁波に強いといったことで、極論すれば多少の部品が壊れてもシステムダウンしない物が求められているのだという。

*ちなみに今回取り上げた「1917 命をかけた伝令」は僕の翻訳ではありません。

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