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翻訳の現場から


2021.11.28

風間先生の翻訳コラム

コラム第83回:かつて僕がいた所に戻って思うこと

かつて僕がいた所に戻って思うこと


『ザ・ビートルズ:Get Back』
11月25日(木)・26日(金)・27日(土)ディズニープラスにて
全3話連続独占見放題で配信
©2021 Disney ©2020 Apple Corps Ltd.

 あのザ・ビートルズの有名なゲット・バック・セッションが6時間を越える映像作品としてよみがえった――と書けばこれ以上の説明は要らないだろう。「ザ・ビートルズ:Get Back」が現在配信で公開中だ。
 しかし正直な話、ドキュメンタリーとしては一番字幕に向いていない類ですね。ファンは曲が完成していく過程のやりとりや、メンバー同士の何気ない会話などに興味を持つ。それを字幕にすると、多くの情報を落としたり簡略化せざるを得ない。かといって吹替にするか――それは絶対ナシでしょう。「ハード・デイズ・ナイト」や「ヘルプ!」のようにフィクションならまだしも、実際の制作過程のやりとりを吹替で見たいというファンはいない。つまり、本作の日本語版は字幕でしかあり得ないが、字幕に一番向いていないという矛盾した作品なのだ(以上は翻訳者としての言い訳ではなく、ファンとしての嘆きと捉えていただきたい!)。
 そして同様の理由で、本作の話をしようとすると必然的にネタバレになってしまう。そこで以下、本編の内容から2つ触れます。いわゆるビートルズネタではないものを選んだが、一切のネタバレが嫌な方は視聴後にどうぞ。
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 会話の中でメンバーの1人が「そして○人になった」とつぶやく場面がある。原文はAnd then there were ○で、○の中に数字が入る。実はこれ、イギリスの伝承童謡として有名なマザー・グースの一編から取られた言い回しだ。元の唄はTen little Indiansというが、イギリスではTen little nigger boysと改変され、こちらの方が有名だ。作者も分かっているのだが、現在では作者不詳のマザー・グースの一編として通っている。
 10人の黒ん坊の子供が正餐に出かけました。1人が喉を詰まらせました。そして9人になりました…
 この調子で1人、また1人と様々な理由(事故)で子供は消えていき、最後に誰もいなくなるという、面白くも不気味な唄だ。そして人数が減っていくところから“And then there were ○”というのは、ある集団から誰かが離脱した時に使う常套句となっている。例えば首相候補で激しく争っていた3人のうち、1人がスキャンダルで失脚すると、新聞はAnd then there were twoという見出しを書くという具合だ。ジェネシスというバンドも、メンバーが4人から3人に減った後に出したアルバムに「…And then there were three/そして3人が残った」というタイトルを付けている。ということで、本編では周囲にいた人間が立ち去った時につぶやく決まり文句というわけだ。
 唄の最後はAnd then there were none/そして誰もいなくなりました、となる。お聞き覚えがないだろうか?この唄に見立てた殺人事件を描いたアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」だ。最初の原題はTen little niggersだったのだが、nigger/黒ん坊というのは差別表現だということで現在の題に落ち着いたという経緯がある。
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 複数の曲で、メンバーが“I had a dream”まはた“I have a dream”というフレーズを入れる場面がある。お分かりだろうが、あのキング牧師が1963年のワシントン大行進の集会で行った有名な演説「私には夢がある」からの引用だ。旧聞に属するであろうこのフレーズをなぜ彼らは持ち出したのか。
実はキング牧師が1968年の4月4日に暗殺されているのだ。だがゲット・バック・セッションが始まったのは1969年で、ここでも1年のずれがある。しかし新年早々の1月2日が開始だから、実際のメンバーのマインドはまだ1968年と考えていい。とすると、その年の大事件であるキング牧師暗殺が頭にあり、そこから有名な演説のフレーズを口にしたと考えれば納得がいくではないか。
ゲット・バック・セッションもキング牧師の演説もそれぞれが有名な出来事ではあるが、我々は両者を点として把握している。だが歴史を横断的に線として見直すと時間軸が一致するのだということを、このフレーズは考えさせてくれるのだ。あの時はそういう時代だったのだと…
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最後に個人的なことを少し。今回の僕の拙い翻訳を友人のM・M君とY・S君に捧げたい。僕にビートルズを教えてくれた2人がいなかったら、僕は今の仕事をしていなかっただろう。

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