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翻訳の現場から


2024.11.14

風間先生の翻訳コラム

コラム第119回:日暮れの町

日暮れの町

 アメリカのドキュメンタリーを見ていたら“日暮れの町”というのが出てきた。原語はsundown town。何やらロマンチックな響きだと思ったが、とんでもない。これは日が暮れた後で有色人種が立ち入ることを禁じた町のことなのだ。主に黒人とネイティブ・アメリカンを対象とし、1700年代は全米中にこういう町が存在したらしい。南北戦争後は主に南部で、黒人を対象とした日暮れの町が多くあり、これが1960年代まで存在し続けた。
 日暮れの町は住民がすべて白人で、日中でも黒人旅行者がレストランに来たら食事の提供を断るのが普通だった。日暮れ後は立ち入り禁止だから、当然宿泊などできない。夜に町の道路を車で通過しただけでも、警察に見つかれば逮捕されてしまう。最悪の場合はリンチされて殺されることもあった。
 日暮れの町でなくても、黒人はガソリンスタンドで給油を拒否されたり、食事や宿泊を断られることが多かった。このような不都合、危険を避けるために、黒人旅行者用のガイドブックが発行されていた。これがグリーン・ブックである。創刊者であるビクター・H・グリーンの名前から来ているが、表紙は緑色だ。黒人が利用できるホテル、レストラン、ガソリンスタンド、バーなどの情報が網羅されている。黒人旅行者にとってはバイブル的存在だったが、黒人以外にはほとんど知られていなかったという。
 なぜそこまでして車で旅行したのかといえば、黒人は公共輸送機関では隔離されていたからだ。車を持てる裕福な黒人は少なかったが、購入可能な者たちは、公共輸送機関での差別や屈辱を避けるために車で移動することを選んだのだ。
 グリーン・ブックといえば映画「グリーンブック」である。セリフの中で日暮れの町が出てこなかったかと調べてみたら、やっぱりあった(ちなみに翻訳は僕ではない)。南部を巡業中の黒人ピアニスト、ドクター・シャーリーと運転手のトニーの車がミシシッピ州に入る――黒人差別が特にひどい州なのはご存じですね。時刻は夜で、道に迷っていると、後ろからパトカーが来て、停車を命じられる。車に近づいた警官は、車内でドクターの姿を認めると、トニーに対して次のように言うのだ。He can’t be out here at night. This is a sundown town. 「彼=ドクター=黒人は夜間ここにはいられない。ここは日暮れの町だ」。字幕は「黒人の夜の外出は/禁止されてる」となっている。字数もあるし、日暮れの町は説明しないと通じないから、これは仕方がないだろう。ただ、欲を言えば「この町」という言葉は入れてもよかったのではないか。例えば「この町は夜間/黒人は入れない」など、同じ字数内で出せないことはない。
 それに対してトニーはWhat’s that?と言う。「日暮れの町って何だ?」ということ。ブルックリンの白人であるトニーは日暮れの町を知らないのだ。字幕は「何だと?」となっているが、日暮れの町を訳出していない以上、これは仕方がない。こうして2人は逮捕されてしまう。
 興味深かったのは、釈放後に町境を車で通り過ぎる場面だ。画面左に看板が立っていて、次のように書かれている。WHITES ONLY WITHIN CITY LIMITS AFTER DARK。日暮れ後、町境内は白人のみ、と宣言しているのだ。
 日暮れの町は、1950~60年代の公民権運動を経て、徐々に消滅していく。特に1968年に制定された公正住宅法が大きかった。これは住宅の販売や賃貸において人種や性別、宗教等によって差別することを禁止する法律だ。といっても実際には1980年代まで日暮れの町は存在していたという。
 本コラムで使ったのはルート66のイメージ写真だが、シカゴからサンタモニカを結んだこの歴史的道路沿いには昔、日暮れの町が多くあったという。

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