歌う刑務所
『シンシン/SING SING』
4月11日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開
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シンシン刑務所といえばミステリーファンにはおなじみだろう。そこを舞台に、演劇を通じて収監者の更生をめざすプログラム、RTA/Rehabilitation Trough the Artsに参加するメンバーたちの友情と再生を描いた実話が「シンシン/SING SING」だ。
RTA(芸術による更生)は実在の組織で、ニューヨークを拠点に活動。芸術を通じた更生プログラムを刑事施設に展開している。では、なぜ演劇なのか?
犯罪者は貧困や劣悪な家庭環境の中で育った者が多い。結果として虚無的で、感情に乏しく、自分本位で他人の痛みを想像することができない。恐らく彼らが親しんでいる唯一の感情は“怒り”だろう。怒りについては本編でも言及があったことを指摘しておこう――劇場で確認していただきたい。
だから彼らは他人の財産や命まで奪うことに抵抗がないのだ。対して演劇というのは与えられた役になりきらなければいけない。自分の役が今どういう気持ちなのか、その行動はどんな思いから発しているのか、といった感情の想像、移入なしに演技はできない。参加者は演劇を通じて感情を取り戻し、他人の気持ちを想像できるようになり、ひいては犯した罪の意味も考えられるようになる。実際、全米の収監者の再犯率は60%だが、RTAプログラムに参加した者の再犯率はわずか3%だという。
今回は本作で出てきた戯曲の話をする。ネタバレではないと思うが、あのセリフかと納得する意味では、視聴後に目を通した方がいいかもしれない。
冒頭の「真夏の夜の夢」を始め、芝居といえばシェイクスピアである。本編では他にも「ハムレット」や「リア王」のセリフが出てくるが、そのシェイクスピアと並ぶ大物がリチャード・ブリンズリー・シェリダン。日本ではあまり知られていないが、18世紀のイギリス演劇を代表する劇作家だ。代表作の「悪口学校」は文庫化もされているが、本作で出てくるのは「批評家」という作品。日本では「劇評家」の題名で翻訳されているが絶版だ。
劇中劇の中で鎖が重いと嘆く男のセリフがそう。中身はオリジナルのママだが、話者の名前で遊んでいる。オリジナルはWiskerandos/ウィスクランドスというのだが、音の似たwhisker/頬髭に引っかけてWhiskerandosとしている。喜劇ということで「濃いヒゲ」と突っ込んで訳してみた。
ちなみにシェリダンは最初、完全にスルーしていた。だがネット上で資料を探していると、偶然見つけたのが本作の原作のひとつでもあるThe Sing Sing Folliesというエスクァイアの記事だ。それを読んでいると「古いイギリスの戯曲から」としてくだんのセリフが出てきたのだ。ネットに感謝である。
次の公演の演目を決める際にディヴァインGが「A・ウィルソン」と言う。字数がないのでこうしたが、オーガスト・ウィルソンのことだ。彼は父親が白人の黒人劇作家で、代表作は「マ・レイニーの黒い尻」「垣根」など。それぞれ「マ・レイニーのブラックボトム」「フェンス」として映画化されている。ちなみにディヴァインGを演じたコールマン・ドミンゴは「ブラックボトム」に出演している。
本物のディヴァインGだが、imdbのバイオによれば彼は著作8冊、うち7冊は戯曲化され、著作は受賞歴もある。本作中の“Fine Print”や“Pro Se”も彼が実際に書いた戯曲。それぞれ「ただし書き」「本人訴訟」と訳した。本作でドミンゴ演じるディヴァインGにサインをねだるファン役でカメオ出演もしている。その時に持っていた本の題名はMoney Grip。これも彼の作品だ。
最後に小ネタをひとつ。劇中劇に“乙女マリオン”というキャラがいるのだが、これは“乙女マリアン”のパロディだ。ご存じ、ロビンフッドの恋人の名前で、原語はMaid Marian。maidはメイド、女中の意味だが、文語では乙女、若い未婚女性のことを指す。