7月3日(金)より、TOHOシネマズ シャンテ 他全国ロードショー
配給:ポニーキャニオン
©BIF Bruce Limited 2019
小説や映画のセリフでも、誰かに言われた言葉でもいい。それが心に響くという体験は誰にでもあるのではないか。ましてそれが曲の歌詞だったら、音楽や歌い手のパワーと相まって劇的な影響を受けることがある。「カセットテープ・ダイアリーズ」は1980年代のロンドン郊外の町ルートンで暮らすパキスタン系移民の高校生の物語だ。差別、貧困、家庭など様々な問題で押しつぶされそうになる主人公は、偶然ブルース・スプリングスティーンの曲を聴くことで人生が大きく変わっていく。
パキスタンは元イギリスの植民地だったインド帝国の一部。第二次大戦後の1947年に独立するが、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒が対立し、インドとパキスタンに分かれて独立した。国民の中には、独立の混乱期の政情不安を嫌ったり、豊かさを求めて昔の宗主国であるイギリスへ移住する者がいた。イギリス側も戦後復興に労働力を必要とし、多くの移民を受け入れた。主人公の世代は彼らの子供、つまり移民2世で、イギリス生まれというわけだ――年齢によっては上の兄弟姉妹は現地で生まれ、小さいうちにイギリスに来たというケースもある。
パキスタンやインド出身に加え、カリブ系・アフリカ系黒人(同様にジャマイカやナイジェリアなど旧イギリス植民地出身)ら大戦後にやってきた移民たちは大半がロンドンに住んだが、ロンドン郊外ではスラウ、レスター、そして本作の舞台であるルートンなどに住みついた。英国国立統計局2007年の調査によれば、ルートンでは小学生の46%が非白人であり、その中の最大グループがパキスタン、バングラデシュ出身のイスラム系だという。
ただ、インド系の社会的地位が比較的――あくまで比較的――高いのに対し(親が教育熱心なのが理由のひとつとも)、パキスタン系や黒人は肉体労働者や工場労働者が多いと言われている。失業率もインド系に比べて高く、パキスタン系は本作にも出てきたようにパキ/Pakiという蔑称で呼ばれ、差別されている。
ちなみにパキという蔑称は「ボヘミアン・ラプソディ」や「ベッカムに恋して」(本作の監督グリンダ・チャーダの2002年度作)にも出てくる。「ボヘミアン~」のフレディも「ベッカム~」の主人公もインド系。それなのにパキと言われ、二重の屈辱を味わっているわけだ。実際、イギリスでは南アジア系全体への蔑称としてパキが使われることは多いらしい。
むろんインド系でも差別は免れない。例えば本作の主人公にスプリングスティーンを教える友人はインド系のシーク(シク)教徒だが、シーク教の男性はターバンを巻くことを義務づけられている。そのためターバンのことでからかわれることは多いそうだ。
パキスタン系やインド系の家庭は保守的なことで知られている。本作でも親が子供の結婚相手を決めるとか、友人の家のパーティーに行かせないという話が出てくる。それと主人公の妹がデイタイマー/昼興行の話をするが、少し説明を加えよう。これは80年代のイギリスで、昼間にやるバングラ(元はパキスタン/インドの民謡だが、クラブミュージック風にモダンにアレンジされた音楽)のバンドやDJなどのイベントのこと。保守的なパキスタン系やインド系の親は、子供をナイトクラブに行かせることなどあり得なかった。そこでイベントを昼に行ったのが始まりだ。学生はカバンに衣装を忍ばせ、学校に行ったフリをしてデイタイマーで遊び、夕方に何事もなかったように家に帰っていたらしい。
最後に本作の時代背景について。当時のイギリスを率いたのは“鉄の女”ことマーガレット・サッチャー。1979年に首相に就任すると新自由主義を掲げ、自助努力、福祉切り捨てを合い言葉に、国営企業の民営化、石炭・造船などの重厚長大産業の解体を進め、若者を中心に大量の失業者を生む。政権のもうひとつの特徴は復古的ナショナリズムだ。強いイギリスを目指し、1982年にはフォークランド紛争で勝利する。失業者増大で支持率が低下していたサッチャーは、この戦争の勝利を契機に支持率が回復、1990年にまで及ぶ長期政権となった。本作はサッチャー政権の初期から末期にピタリと重なる。だから、失業の不満とナショナリズムに煽られた白人の若者はパキスタン系移民排斥に走ったのだ。
本作は4月に公開予定だったが、コロナ禍の影響で公開が延びた。その間に世界は大きく変化し、改めて様々な差別問題が浮かび上がった。本作も差別が大きなテーマのひとつではあるが、同時にそれを題材にしてここまでチャーミングな作品が作れるのだということも教えてくれる。考えさせられながら、感動を与えてくれる作品だ。