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翻訳の現場から


2020.09.18

風間先生の翻訳コラム

コラム第69回:内なるデーモン

 デーモン/demonと言ったら何を想像するだろうか。日本人なら大抵「悪魔」と答えるはずだ。僕もそう思っていた。しかし先日、某ラジオでDJのピーター・バラカンさんが、デーモンというのは非常に訳しづらい言葉で、日本語でどう言っていいかいつも悩むと話していた。
 デーモンとは自分の中にいて、自分のためにならないことをさせるものだという。悪魔とも違うし、日本語の「鬼」でもないし、あくまでも(シャレではありませんよ!)自分の中にいるものなのだそうだ。なるほど、そういうことだったのか!確かに日本語でも「内なるデーモン」といった表現をする。自分の中にある悪い部分、弱い部分、それによって自分が悪い方向へ行ってしまうものを指す時に使う表現だ。
 ちなみにバラカンさんが言っていた「鬼」だが、江戸川乱歩が似たような使い方をしている。彼の著作に「鬼の言葉」という評論集がある。題名からさぞおどろおどろしい内容かと思いきや、国内外の探偵小説(ここは推理小説ではなく探偵小説でなくてはいけない!)の極めて真っ当な評論集だ。乱歩が言う鬼とは、元々は「文学の鬼」などと言うのにあやかって、「探偵小説の鬼」ということなのだが、小林信彦がさらに詳しく解説している。いわく「〈ミステリーの愛好度が、マニアを超えて、スーパー級の人間、またはその精神〉といった意味合いがあり、(略)著者一流の造語である」とのことだ。「鬼の言葉」の中でも某作品を読んで感心した乱歩が「私の中の「鬼」がムクムクと頭をもたげ始めた」と書いている。もちろんデーモンとは違うのだが、自分の中にある何かという感覚が似ているのは興味深い。
 話を戻すが、日本人の場合は「内なるデーモン」という言葉を安易に「内なる悪魔」と置き換えてしまう。悪いことをさせるのだから悪魔じゃないかと考えるわけですね。だからデーモン=悪魔と思ってしまう。しかし、よく考えてみれば本来の悪魔とは神に敵対する存在であり、神の創造物である人間を誘惑し堕落させることで神に挑んでいる者らなのだ。
 古い話で恐縮だが映画「エクソシスト」が欧米で非常なセンセーションを巻き起こしたのは、単に怖い作品だったからではない――今見直しても十分に怖いのだが、欧米人=キリスト教徒が見ると、あの作品はリーガンという少女に悪魔が取り憑いた話ではなく、神に挑む悪魔が、神の創造物である人間の一人であるリーガンに取り憑き、その魂と肉体を滅ぼそうとする話なのだ。だからリーガンは容易に自分に置き換えられる。自分もいつか悪魔に取り憑かれるかもしれないと思う。それをリアルに見せられたから恐怖を感じたのだ。
 だから悪魔はあくまで(しつこいですがシャレではありません!)外にいて人間を誘惑するものであり、自分の中にいるわけがない、いたらとんでもないことになる。故にデーモンを悪魔と訳してはいけないのだ。さらに自分の中にいて“自分のためにならないことをさせる”というのがポイントではないだろうか。多くの場合は“悪いことをさせる”とダブるのだろうが、例えばやらなければいけない仕事を前にして「疲れてるんだから今日はもう寝ちゃえよ」とささやく何者かという感じではないか。悪と呼ぶほどではない、だがそれが積もり積もると、その先にはとんでもない結果が待っている、そういうことをさせる何者かがデーモンなのかもしれない。
 あっ、でもこういう脳内会話を漫画では天使の自分と悪魔の自分が綱引きする画で描くんだよな。やはりデーモンを悪魔から切り離すのは難しいです!

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