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翻訳の現場から


2021.06.11

風間先生の翻訳コラム

コラム第78回:分かっちゃいるけど

分かっちゃいるけど

『Mr.ノーバディ』
2021年6月11日(金)公開
東宝東和配給
©2021 UNIVERSAL PICTURES. All Rights Reserved.

 「Mr.ノーバディ」は「ジョン・ウィック」シリーズの脚本を書いたデレク・コルスタッドが脚本を担当、製作には同じく「ジョン・ウィック」や「アトミック・ブロンド」の監督であるデヴィッド・リーチの名前もある。この顔ぶれを見ればハードなアクション作品だろうと想像はつくというものだ。主演のボブ・オデンカークは脚本や監督もこなす才人で、人気テレビシリーズ「ブレイキング・バッド」への出演や、そのスピンオフ「ベター・コール・ソウル」の主演などで知られる。
 ハードなアクションと書いたが、本作はそのバックで流れる音楽が楽しい。歌詞が主人公の心情や状況に合った内容なのは映画ではよくあることだが、今回は正統派のバラードや朗々と歌い上げる曲など、いわゆるスタンダードも多い。そのギャップが面白いのだ。今回は珍しく歌詞の翻訳が許可されたので、何曲かは訳詞を載せている。映画の訳詞については拙コラム第15回を参照されたい。
 さて、そんな中で許可が出なかった曲が2曲あるのだが、どちらも画面とのマッチが絶妙なのだ。ぜひ紹介したいと思い、本稿を書いた次第。その絶妙度を説明するために、ある程度物語の内容に触れるのでご注意を。
 ポスター等で“地味な男がキレる”話だという最低限の情報はご存じだと思うのだが、そのキレるシーンでかかるのがスティーヴ・ローレンスの“アイヴ・ガッタ・ビー・ミー”だ。元はミュージカルの挿入曲で、後にサミー・デイヴィスJr.やトニー・ベネットなどもカバーしている。その歌詞の内容が、場面を考えると実に秀逸なのだ。以下、要約する。「正しかろうが間違っていようが、この世に自分の居場所が見つかろうが、自分がいてはいけない存在だと知ろうが、どちらにしても私は自分自身でいなければ。自分という人間以外の何になれるというのか。私は人生を謳歌したい。ただ生きているだけでは嫌だ。あえて挑もう。やるか死ぬか。私は自分自身でいなければ…」
 許可が出なかったのは残念だが、この曲の場面ではセリフが重なっている。両方の訳出は不可能だし――画面が字幕だらけになりますからね!――役者の細かい動きを見せることも考えれば、訳出なしという判断は正しいのだろう。こういう時に、画面を目で楽しみながら、セリフと音楽を耳で同時に楽しめるネイティブがうらやましいと思ってしまうが、これは洋画では無いものねだりですね。
 映画の冒頭とラスト近くで流れるのがニーナ・シモンの“悲しき願い/Don’t Let Me Be Misunderstood”だ。曲はシモンがオリジナルだが、後にアニマルズがカバーしてヒット、さらに後年のサンタ・エスメラルダによるディスコ・バージョンや、日本だと尾藤イサオのカバーも有名だ。どれも派手な印象があるが、本来の歌詞はかなり内省的なものだ。「ベイビー、これであたしという人間が分かったでしょ。時々あたしキレちゃうの。でも人間、生きてれば常に天使ってわけにはいかないでしょ?八方塞がりになれば悪いとこだって見えてくる。でもあたし、根はいい人間なのよ。神様、どうか私を誤解されないようにしてください」
 この歌の肝は「私を誤解されないようにして」だろう。「私を誤解しないでくれ」と頼むならdon’t misunderstand meでいいわけだが、これだと自分は悪くない、間違っていないという思いが根本にある。don’t let me be misunderstoodの場合、話者は「誤解される」という恐れを抱いている。自分にそれなりの非があることを分かっているのだ。だからこそ誤解されないようにと神に祈るのである。この曲は人間のどうしようもない弱さ、それを嘆き、後悔している歌なのだ。つまり“分かっちゃいるけどやめられない”のが人間ということなのです。

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